BJクラブ英会話

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BJクラブ英会話 東広島市 西条 (西条土与丸) | ネイサンのブログ
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女子高校生に言いたい「十戒」

今日、江田島に行くことがありました。山陽本線と呉線で呉まで行き、呉中央桟橋からフェリーで江田島の小用に向かいました。7時40分発のフェリーで、通学している高校生が十数人乗っていました。

20分という短い海路ですが、新聞をゆっくり読みたいと思っていました。しかし、隣の座席に突入した5,6人の女子高校生のせいで、そうは全くできませんでした。その女子高校生は腰を掛けたとたん、色々な「必携品」を鞄から取り出し始めました。教科書やノート、シャーペンなどではなく、携帯や鏡、メイクの用品、など等。菓子パンをかじりながら、お互いの化粧やヘアメイクに必死に取り組みました。高校生がこういったようなことをするのが決していいことと思いませんが、まぁ、他のお客様の迷惑になっていないということで、「まぁ、いいか」と、新聞を開きました。

その瞬間。二人の女子が携帯を開き、結構高い音量で音楽を流し始めました。何らかのJポップでした。歌詞が誰なのか知りませんでした(知りたくもなかったし)が、とにかく煩かったです。

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スターリングラード

1943年2月2日、65年前の今日、スターリングラード攻防戦が終わりを迎えました。

ドイツ軍によるスターリングラードの包囲は5カ月間も続きました。その期間の戦闘で、ドイツ軍の戦死者は約30万人に、ソ連軍の戦死者は約50万人にものぼりました。また、約20万人もの市民が死亡したと言われます。あきれ返るほどの数字です。

僕は2006年の夏、広島市の団体の通訳で、スターリングラード(現在はヴォルゴグラードです)を訪れることがありました。いつまでも記憶に残る数日間でした。理由はいくつかありますが、3つだけ述べましょう。「人の優しさ」、「街の懐かしさ」、「歴史の恐ろしさ」という3つの理由です。

「人の優しさ」といえば、説明は必要ないでしょう。数日間だけの滞在で一生続く友情関係ができたとだけ言えば、十分でしょう。

初めて訪れる街に「街の懐かしさ」を感じたと言えば、おかしいでしょう。説明しましょう。僕は1990年、1991年、モスクワとサンクト・ペテルブルグ(その当時はレニングラードでしたが)を訪れることがありました。その当時のモスクワもレニングラードも、ロシアの「味」がはっきりした都市でした。その「味」は結構気に入りました。しかし、現在のモスクワでは、ここ数年の発展のせいで、僕が好んでいたロシアの味がほとんどしなくなりました。(サンクト・ペテルブルグもそうではないかと思います。)でもヴォルゴグラードは、当時高校生だった僕を魅した1990年・1991年のロシアを思い出させてくれました。例えば、街を走るトローリーバスや、道端でクワスを売っている人々などのありふれたことを久々に出会えるのが本当に嬉しいことでした。

でも、「人の優しさ」や「街の懐かしさ」よりも、何よりも、ヴォルゴグラードでの滞在が記憶に残るのは、「歴史の恐ろしさ」を実感させられたからです。もちろん、「歴史」といえば、スターリングラード攻防戦の歴史のことです。ヴォルゴグラードでの滞在が短期間のものではありましたが、その攻防戦の悲惨を少し知ること、分かることができたのです。

(まぁ、「分かる」と言っても、本当に分かることはもちろん無理ですが。戦争を経験したことの無い僕の「分かる」とは、「想像する」に過ぎないのですね。)

とにかく、スターリングラード攻防戦を語る資料館を訪れるときの気持ちは、広島の原爆資料館を初めて訪れたときと同じようなものでした。その気持ちとは、戦慄と悲しみでした。

また、広島の原爆資料館と同じように、スターリングラードの資料館に一度訪れたことだけでは、悲惨の全てをちゃんと心に留めることができないと思います。遅かれ早かれ、深く印象に残ったヴォルゴグラードにまた行きたいのです。再び資料館に足を運び、65年前の悲惨を無言で物語る展示物をゆっくり、じっくり、見詰めたいのです。戦慄と悲しみを感じながら、少しでも「想像」から「分かる」に変わりたいのです。

はるばるヴォルゴグラードを再び訪れる日はいつか分かりませんが、いつかきっとあると思います。ママエフの丘に建つ母なる祖国像の手前にある池に硬貨を投げ入れると、いつの日かヴォルゴグラードに戻れると言われています。僕はこの言い習わしを信じて、ヴォルゴグラードに戻れる日を楽しみにしています。

Rodina Mat' Zovyot! (Mother Motherland Is Calling)
ママエフの丘に建つ母なる祖国像

財布で実感した田舎の治安

先日、財布について、友人と話していました。すると、このエピソードを思い出しました。

江能4町(江田島町・能美町・大柿町・沖美町)が2004年に合併し、江田島市になる直前にあったことです。僕は江田島町の時代、役場に勤めていました。家から歩いて20分の所にあった役場には、自転車で通勤することが多かったです。とにかく、ある日、役場に着いたら、財布を自転車の籠に忘れてしまいました。しかも、結構多くの人が通る公民館の前に駐輪していました。まぁ、財布を持っていないのに気が付いたのは12時前、つまり財布がずっと4時間程度籠に入ったままの時でした。慌てて駐輪場に戻ったら、財布はそのままありました。中身も、そのままありました。でも、財布が誰にも見られていなかったから盗まれなかった訳ではありません。実は、何らかのチラシも籠に入れてあったのです。しかも、そのチラシは、風に吹き飛ばされないように、財布の下に置いてありました!

運が良かったに過ぎないかもしれませんが、このことで本当に田舎の治安を実感しました。

温泉

今日、久しぶりに温泉(まぁ、銭湯)に行くことにしました。「久しぶり」といえば、もう1年ぶりかな。

僕は、温泉や銭湯が大好きです。どれぐらい好きかというと、数ヶ月前、「好きな日本語(の言葉)は?」と誰かに聞かれた時、「湯治」と答えたのです。特に好きなのは、雨の露天風呂です。だから今日の銭湯(呉市焼山にある「夢ガーデン」という銭湯)は楽しみにしていました。露天風呂に入りに外のテラスに出ると、台風の接近に伴う雨は降っていましたが、露天風呂の上には、天幕が張ってありました。何だかガッカリしました…

まぁ、雨の露天風呂を楽しめなかったにも関わらず、十分満喫できた1時間の入浴でした。「ラベンダーとカモミールの風呂」にも入ったし、2、3回も塩サウナで汗を流したし。よかったです。

ただ、温泉・銭湯で気に入らないことがあります。それは、入浴している一部の日本人の目線です。金髪の外国人である僕が温泉に入ると、じっと見られることが多いのです。こんなことがあるからこそ、温泉が好きなのにそんなに行かないのです。残念です。

温泉・銭湯に限ぎらず、どこでも、どの場でも、じっと見ることはどう考えても、失礼なことです。従って、いつまで日本にいても、じっと見られることに納得できるようにはきっとなりません。でも今日の入浴で、いいことが分かりました。

僕はいつも眼鏡をかけて温泉に入ります。しないと、階段等が見えないので、こけたりする可能性が十分あるのです。(温泉でこけた外国人こそ、じっと見られるでしょう…!)今日も、眼鏡をかけてお風呂に入りましたが、サウナに入ると眼鏡が熱さで駄目になるかなと思って、一旦更衣室に戻って、眼鏡をロッカーの中に置きました。眼鏡なしでは、もの凄く気をつけて歩かないといけませんでしたが、何とか無事でした。で、眼鏡をかけていないと、じっと見られているのが見えないことに気づきました。おそらく誰かにじっと見られているのが分かりますが、ちゃんと見えないと何だか、そんなに気にならなくなります。

これからも、眼鏡を置いて温泉に入ろうと思います。諺のとおり、「知らぬ方が幸せ」ということです…

梅干し横丁より

「ほどう」の「ほ」って、どういう漢字?

数年前(そういえば、もう10年も前となっています)、母が初めて日本に遊びに来たとき、広島について何よりも印象的だったのは、自転車に乗る人のマナーです。まぁ、「マナー」というより、「マナーの無さ」といった方がいいですが。他の街ではそんなに気がついていませんが、広島市内では、自転車に乗る人が歩行者の真後ろ(ほんまに真後ろ!)から自転車のベールを鳴らすことが多いのです。どうも不親切なのです。ベルを鳴らすなら、もうちょっと離れた所から鳴らすべきです。

母の10年前受けた印象を今日思い出しました。広島市内に行って、道路沿いに駐輪された自転車のせいでかなり狭くなっていた歩道を歩いていると、真後ろからベルのイライラした音がしました。どいて、通らせてあげようと思っても、駐輪した自転車のせいでどくスペースがなかったので、そのまま歩き続きました。すると、ベルの音がまたしました。歩道がちょっと広くなったらその自転車を通らせてあげましたが、お礼も何もありませんでした。ベルを鳴られることよりも、「ありがとう」や「すみません」もないことで、僕は腹が立ちました。

『これって何ですか?歩道ですよね。で、歩道の「ほ」ってどういう字で書くんですか?「歩く」ですよね。そうです、歩道って歩いている人のための道です。歩行者のためです。自転車ではなく、歩行者ですよ。じゃけぇ、偉そうに、当たり前のように通らせてもらえると思っているように、ベルを鳴らすな!』と、その自転車に乗っている人を追いかけて強く言いたかったですが
もちろん、そうはしませんでした。鍋で沸騰しているお湯のように怒りながら、自転車が去っていくことを睨んだだけでした。

でも今度はほんまに、何か言ってやりたいと思いますが。些細な不作法だと思われるかもしれませんが、こんなことでほんまに腹が立つのです


(どうですかね?広島市内での「自転車マナー」が特に良くないというのは、気のせいですか?)

梅干し横丁より

ユーモア(?)

僕はよく、「イギリス人とアメリカ人より、イギリス人と日本人の方が色々なレベルで近い」と記事で書いています。

ユーモアでも、イギリス人と日本人は似ています。同じようなことで笑うのです。でも、ジョークについては、何だかの差があるような気がします。イギリス人なら素早く分かるジョークは、大抵日本人に説明しないと通じないのです。まぁ、あまり通じないのは日本人だけではなく、イギリスのユーモアはイギリス人(やオーストラリアなど、以前植民地であった英語圏の国の人)じゃないと、なかなか分かりにくいようです。

さて、イギリスの典型的なジョークです。通じますか?

There were two cows in a field.
One said, "I'm really worried about this BSE."
The other said, "Oh, that doesn't bother me!- I'm a giraffe."

日本語に訳すると、次のようになります。

2頭の牛がいました。

1頭目は、「狂牛病は心配だね」と。
2頭目は、「こっちは平気で。だって、キリンだもん」と。

イギリス人ならほとんどの人は通じると思いますが…

では、説明は
こちらです

イギリス風パンケーキ

今年のパンケーキデーは2月20日なので、まだ随分早いですが、今日気が向いていたから、久々にパンケーキを作ることにしました。イギリス風パンケーキといえば、ホットケーキのような物ではなく、クレープにちょっと似ている物です。広島風お好み焼きの生地に似ているとも言えます…

作るのは簡単です。僕でも、問題はありません。作り方は次のとおりです。

材料(約4人分)
  • 小麦粉  115g
  • 塩  少々
  • 粉砂糖  少々
  • 卵  1個
  • 牛乳  170ml
  • 水  55ml
  • 油  大さじ1
  • 粉砂糖  適量
  • レモン汁  適量


作り方

1. ボールに小麦粉と塩、砂糖を入れて混ぜる。真ん中に穴を開ける。
2. 別のボールで卵を泡立てて、1の穴に加える。
3. 別のボールで牛乳と水を混ぜる。ゆっくり卵のところに加え、1の小麦粉と混ぜる。
4. 3に油大さじ1を混ぜる。
5. フライパンに油を少しひき、温める。4を約大さじ二つずつフライパンに入れて、焼く。
6. 少し固まったら、ひっくり返す。(クレープのようにみえる)
7. 粉砂糖とレモン汁をかけて食べる。

いうまでもなく、食中毒等は、作った本人の責任です…!

パンケーキの由来などについては、ネイサンのブログをご覧ください。

東広島におけるイギリスのボンファイア・ナイト

数週間前のある日の夕べ。聞いていた音楽が終わると、花火の「ドーン」という音を、遠くから聞こえました。窓から見ても打ち上げ花火の「花」は見えませんでしたが、それにしても、花火の音が聞こえて、なんだか嬉しかったです。

嬉しく思ったのは、イギリスでは、花火といえば、ほとんどの日本人が思い出す夏ではなく、11月5日だからです。

花火を観るのに夏の方が快いのに、結構寒い11月に花火大会を開催する理由は興味深いです。なんと、反逆罪を記念するためなのです。しかも、去年でちょうど400年前の事件に由来する習慣です。

カトリック教徒を厳しく迫害していたエリザベス1世が亡くなった1603年から、話は始まります。継承者のジェームズ1世がエリザベスより寛容な態度を示すことをカトリック教徒は期待していましたが、そうはなりませんでした。1605年に、ジェームズ1世とプロテスタント政策にかなりの不満を持っている13人の若者は、この迫害の問題を暴力により解決するしかないと決心しました。

共謀者は36バレル(約1.5トン)の火薬を手に入れ、ロンドンの国会議事堂の地下室に置くことに成功しました。国会議事堂を爆破し、ジェームズ1世をはじめ、皇太子や大勢の国会議員を殺害する計画でした。

しかし、火薬は11月5日の議会開会の直前に発見されました。地下室で火薬を守っているガイ・フォークスという共謀者は逮捕され、王様や国会議員は死から救われました。残りの12人の共謀者も素早く逮捕され、拷問にかけられ、絞首刑にされました。

1605年11月5日の夜、ジェームズ1世の無事を祝うため、ロンドンのいたる所でボンファイア(かがり火)を点けました。それで11月5日はボンファイア・ナイトと名乗られるようになりました。未だに、かがり火をたくことと、ガイ・フォークスの人形をかがり火で焼くこと、花火を打ち上げることが盛んです。ボンファイア・ナイトの行事は、大規模な組織的イベントとして行う場合も、個人の庭に家族や友人が集まって小規模で行う場合もあります。

花火というと、どこでも一緒だと思われるでしょう。しかし、一見似ている習慣も実際は、歴史等の背景により、地域で異なることがあります。イギリスの晩秋の花火と日本の真夏の花火は、この異なることを示す良い例の1つです。
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